L 峠 三吉(とうげ さんきち)詩碑(しひ)
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峠三吉(とうげさんきち)の『にんげんをかえせ』の()()っていますか?
峠 三吉(とうげ さんきち)詩碑(しひ)
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 「ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ こどもをかえせ
  わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
  にんげんの にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを へいわをかえせ」


 この()()いたことがありますか?
 この()は、峠三吉(とうげさんきち)の『原爆詩集(げんばくししゅう)』の(じょ)で、2003(ねん)平和記念式典(へいわきねんしきてん)で、子供代表(こどもだいひょう)の『平和(へいわ)への(ちかい)』の(なか)にも登場(とうじょう)しました。
 峠三吉(とうげさんきち)は、1917(ねん)大正(たいしょう)(ねん))2(がつ)19(にち)に、大阪府豊中市(おおさかふとよなかし)()まれました。(おさな)(ころ)広島(ひろしま)(うつ)り、1935(ねん)昭和(しょうわ)10(ねん))に広島商業学校(ひろしましょうぎょうがっこう)卒業(そつぎょう)しました。子供(こども)(ころ)から病気(びょうき)がちだった三吉(さんきち)は、文学好(ぶんがくず)きな母親(ははおや)ステの影響(えいきょう)()け、在学中(ざいがくちゅう)から()短歌(たんか)俳句(はいく)などを(つく)(はじ)めました。卒業後(そつぎょうご)肺結核(はいけっかく)になり入院(にゅういん)療養(りょうよう)をくり(かえ)しました。1942(ねん)昭和(しょうわ)
17(ねん))には、キリスト(きょう)洗礼(せんれい)()けました。
 1945(ねん)昭和(しょうわ)20(ねん))、28(さい)(とき)に、爆心地(ばくしんち)より3km(はな)れた広島(ひろしま)翠町(みどりまち)自宅(じたく)被爆(ひばく)しました。直接受(ちょくせつう)けた(きず)は、ガラスによる負傷(ふしょう)でしたが、親戚(しんせき)()()いをさがして原爆(げんばく)投下直後(とうかちょくご)広島市内(ひろしましない)(ある)(まわ)ったので、原爆症(げんばくしょう)になり、9(がつ)まで入院(にゅういん)をしました。この(とき)広島市内(ひろしましない)様子(ようす)をくわしく()(のこ)しました。この(とき)体験(たいけん)が、(のち)の『原爆詩集(げんばくししゅう)』の(もと)となりました。
 その後原爆症(ごげんばくこういしょう)(くる)しみながら、広島青年文化連盟(ひろしませいねんぶんかれんめい)などの文化活動(ぶんかかつどう)指導(しどう)するなど、広島文化活動(ひろしまぶんかかつどう)のリーダーとなりました。そして、新日本文学会(しんにほんぶんがくかい)にも参加(さんか)し、1950(ねん)昭和(しょうわ)25(ねん))に「われらの()(かい)」を結成(けっせい)しました。
 (おな)(とし)の1950(ねん)11(がつ)に、国立広島療養所(こくりつひろしまりょうようじょ)で、アメリカのトルーマン大統領(だいとうりょう)が、朝鮮(ちょうせん)戦争(せんそう)でも(ふたた)原子爆弾(げんしばくだん)使(つか)うかもしれないと発言(はつげん)したのを()きました。そこで三吉(さんきち)は、原爆使用(げんばくしよう)への抗議(こうぎ)をこめて、翌年(よくねん)の1(がつ)から3(がつ)にかけて、療養所(りょうようじょ)一室(いっしつ)で『原爆詩集(げんばくししゅう)』の25(へん)()のうち、18(へん)()()げました。
 有名(ゆうめい)な「ちちをかえせ・・・」は、この詩集(ししゅう)(じょ)として()かれたものです。『原爆詩集(げんばくししゅう)』は、
1951(ねん)昭和(しょうわ)26(ねん))のドイツ、ベルリンで(ひら)かれた世界青年学生平和祭(せかいせいねんがくせいへいわさい)に、日本(にほん)代表(だいひょう)作品(さくひん)(ひと)つとして()られ、大変大(たいへんおお)きな反響(はんきょう)をよびました。
 『原爆詩集(げんばくししゅう)』は、1952(ねん)昭和(しょうわ)27(ねん))6(がつ)に、(のこ)りの5(へん)()(くわ)え、青木書店(あおきしょてん)から発行(はっこう)されました。
 (おな)(とし)の1952(ねん)昭和(しょうわ)27(ねん))には、子供達(こども)()(あつ)めた詩集(ししゅう)、『原子雲(げんしぐも)(した)より』も編集(へんしゅう)しました。
 三吉(さんきち)は、これからも活動(かつどう)(つづ)けるために、健康(けんこう)(からだ)()(もど)したいと(はい)手術(しじゅつ)()けることにしましたが、手術(しじゅつ)失敗(しっぱい)してしまいました。1953(ねん)昭和(しょうわ)28(ねん))3(がつ)10(にち)未明(みめい)国立広島療養所(こくりつひろしまりょうようじょ)手術台(しじゅつだい)(うえ)()んでしまいました。36(さい)(みじか)(いのち)でした。
 峠三吉(とうげさんきち)は、広島市中区中島町(ひろしましなかくなかじまちょう)にある西応寺(さいおうじ)峠家(とうげけ)(はか)(ほうむ)られています。


 なお、平和記念公園内(へいわきねんこうえんない)にある『峠 三吉詩碑(とうげさんきちしひ)』の碑文(ひぶん)は、三宅一子(みやけかずこ)さんによって()かれています。三宅(みやけ)さんは、原爆(げんばく)両親(りょうしん)姉妹(しまい)など、6(にん)肉親(にくしん)(うしな)ってしまいました。
 峠三吉(とうげさんきち)入院(にゅういん)した(ころ)国立広島療養所(こくりつひろしまりょうようじょ)医師(いし)だった(おっと)から、「平和(へいわ)(ねが)いを()(たく)す、(とうげ)という情熱的(じょうねつてき)詩人(しじん)入院(にゅういん)してきた。」と()らされました。それが峠三吉(とうげさんきち)でした。
 1963(ねん)昭和(しょうわ)38(ねん))、「ちちをかえせ・・・」の碑文(ひぶん)公募(こうぼ)()った一子(かずこ)さんが、原爆(げんばく)()んだ人々(ひとびと)への鎮魂(ちんこん)(おも)いを()めて応募(おうぼ)(えら)ばれました。



引 用(いんよう)  参 考 文 献(さんこうぶんけん) ・ サ イ ト (とう)
広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)WEBサイト
青空文庫(あおぞらぶんこ)
田村(たむら)のホームページ


峠 三吉(とうげ さんきち)詩碑(しひ)(かん)するリンク
青 空 文 庫(あおぞらぶんこ)
峠三吉作家別作品(とうげさんきちさっかべつさくひん)リスト
原爆詩集(げんばくししゅう)図書(としょ)カード 原爆詩集(げんばくししゅう)
広 島 文 学 館(ひろしまぶんがくかん)
峠 三吉(とうげさんきち) 年譜(ねんぷ) 峠 三吉(とうげさんきち) 『(せい)
峠 三吉(とうげさんきち)原爆詩集(げんばくししゅう)


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